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ぜちっずBプラス No.62『䜿埒の働きずパりロの手玙』


“䜿埒の働き”の䞭のパりロの掻動を远っおきたしたが、パりロが曞いた手玙を“䜿埒の働き”ず重ね合わせおみるず、たた味わい深いものがありたす。


新玄聖曞の手玙の䞭で、13通がパりロによるものですが、その䞭で時間的にいちばん最初に曞かれたのは、“ガラテダ人ぞの手玙”ず蚀われおいたす。


ガラテダずは、パりロが第䞀次宣教旅行で回ったピシディアのアンティオキア、むコニオン、リステラ、デルべがガラテダ州に含たれる地域です。


ガラテダの各郜垂をパりロずバルナバが蚪問しお䌝道するず、倚くの人々がむ゚スを信じるのですが、必ずず蚀っおいいほど信じようずしないナダダ人の反察が起こり、矀衆が圌らに扇動されお、暎動が起こっおいたす。ぜちっずバむブル第72回参照


『私は驚いおいたす。あなたがたが、キリストの恵みによっお自分たちを召しおくださった方から、このように急に離れお、ほかの犏音に移っお行くこずに。ほかの犏音ずいっおも、もう䞀぀別に犏音があるわけではありたせん。あなたがたを動揺させお、キリストの犏音を倉えおしたおうずする者たちがいるだけです。』

ガラテダ人ぞの手玙 167


パりロたちが䌝道しお、信仰者の矀れである教䌚ができるのですが、ナダダ人たちがやっおきお、モヌセの埋法に埓わなければ救われないず教えおいたのです。この話題は、䜿埒の働き15章で話し合われた゚ルサレム䌚議ぜちっずBプラスNo.60の内容ず䞀臎したす。この手玙の執筆時期もこの頃ず蚀われおいたす。


ガラテダ州には、パりロは第二次宣教旅行、第䞉次宣教旅行の時にも立ち寄っおいたす。テモテの出身地もガラテダのリステラでした。迫害を乗り越え、信仰に歩む人々ず教え励たす䜿埒パりロ。そのような背景を知りながら手玙を読むなら、より生き生きずパりロの語りかけが聞こえおきそうですね。


『私より先に䜿埒ずなった人たちに䌚うために゚ルサレムに䞊るこずもせず、すぐにアラビアに出お行き、再びダマスコに戻りたした。それから䞉幎埌に、私はケファを蚪ねお゚ルサレムに䞊り、圌のもずに十五日間滞圚したした。』

ガラテダ人ぞの手玙 11718


ここから、パりロが回心しおすぐにアラビアに行ったこずがわかりたすが、このこずは“䜿埒の働き”には曞いおいたせん。『かなりの日数がたち』䜿埒の働き923、゚ルサレムに行ったこずが曞いおあるだけです。


パりロは䜕をしにアラビアに行ったのでしょうか このアラビアずは、珟圚のペルダンやシナむ半島を含む領域だったようです。埩掻のむ゚スに出䌚い、それたでず党く違う啓瀺を受けたしたから、ひずりになっお神に祈り、考えたかったのでしょうか “䜿埒の働き”だけでは気づかないこずが、手玙を芋おわかりたす。


パりロは晩幎、䞀床ロヌマで釈攟された埌、以前より蚈画しおいたスペむンぞの宣教旅行をしたずいう䌝承がありたす。そしお、再び捕らえられ、最期は殉教したず蚀われおいたす。


パりロは、ほずんどすべおの町々で迫害され、呜の危険に遭い、鞭で打たれ、石を投げられ、そしお、「肉䜓のずげ」Ⅱコリント127もありたした。これほどの苊難を乗り越えおも、宣教し続けられたのはなぜでしょうか もちろん倚くの協力した信仰者たちの存圚なしにはできなかったでしょう。ですが、やはりその力の源は、聖霊なる神の力にちがいありたせん


『しかし、聖霊があなたがたの䞊に臚むずき、あなたがたは力を受けたす。そしお、゚ルサレム、ナダダずサマリアの党土、さらに地の果おたで、わたしの蚌人ずなりたす。』

䜿埒の働き 18



聖曞 新改蚳2017©2017新日本聖曞刊行䌚


参考文献

『ファむダヌバむブル泚解付聖曞』ラむフパブリッシャヌズ

『新聖曞ハンドブック』ヘンリヌ・H・ハヌレむ著いのちのこずば瀟

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