ぽちっとBプラス No.62『使徒の働きとパウロの手紙』
- pochittobible
- 2021年12月3日
- 読了時間: 3分

“使徒の働き”の中のパウロの活動を追ってきましたが、パウロが書いた手紙を“使徒の働き”と重ね合わせてみると、また味わい深いものがあります。
新約聖書の手紙の中で、13通がパウロによるものですが、その中で時間的にいちばん最初に書かれたのは、“ガラテヤ人への手紙”と言われています。
ガラテヤとは、パウロが第一次宣教旅行で回ったピシディアのアンティオキア、イコニオン、リステラ、デルべがガラテヤ州に含まれる地域です。
ガラテヤの各都市をパウロとバルナバが訪問して伝道すると、多くの人々がイエスを信じるのですが、必ずと言っていいほど信じようとしないユダヤ人の反対が起こり、群衆が彼らに扇動されて、暴動が起こっています。(ぽちっとバイブル第72回参照)
『私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるわけではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。』
ガラテヤ人への手紙 1:6~7
パウロたちが伝道して、信仰者の群れである教会ができるのですが、ユダヤ人たちがやってきて、モーセの律法に従わなければ救われないと教えていたのです。この話題は、使徒の働き15章で話し合われたエルサレム会議(ぽちっとBプラスNo.60)の内容と一致します。この手紙の執筆時期もこの頃と言われています。
ガラテヤ州には、パウロは第二次宣教旅行、第三次宣教旅行の時にも立ち寄っています。テモテの出身地もガラテヤのリステラでした。迫害を乗り越え、信仰に歩む人々と教え励ます使徒パウロ。そのような背景を知りながら手紙を読むなら、より生き生きとパウロの語りかけが聞こえてきそうですね。
『私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。それから三年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。』
ガラテヤ人への手紙 1:17~18
ここから、パウロが回心してすぐにアラビアに行ったことがわかりますが、このことは“使徒の働き”には書いていません。『かなりの日数がたち』(使徒の働き9:23)、エルサレムに行ったことが書いてあるだけです。
パウロは何をしにアラビアに行ったのでしょうか? このアラビアとは、現在のヨルダンやシナイ半島を含む領域だったようです。復活のイエスに出会い、それまでと全く違う啓示を受けましたから、ひとりになって神に祈り、考えたかったのでしょうか? “使徒の働き”だけでは気づかないことが、手紙を見てわかります。
パウロは晩年、一度ローマで釈放された後、以前より計画していたスペインへの宣教旅行をしたという伝承があります。そして、再び捕らえられ、最期は殉教したと言われています。
パウロは、ほとんどすべての町々で迫害され、命の危険に遭い、鞭で打たれ、石を投げられ、そして、「肉体のとげ」(Ⅱコリント12:7)もありました。これほどの苦難を乗り越えても、宣教し続けられたのはなぜでしょうか? もちろん多くの協力した信仰者たちの存在なしにはできなかったでしょう。ですが、やはりその力の源は、聖霊なる神の力にちがいありません!
『しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。』
使徒の働き 1:8
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
参考文献:
『ファイヤーバイブル注解付聖書』(ライフパブリッシャーズ)
『新聖書ハンドブック』ヘンリー・H・ハーレイ著(いのちのことば社)
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