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ぽちっとBプラス No.61『パウロの同労者プリスキラとアキラ』

更新日:2021年12月3日


🎨『プリスキラ』

ハロルド・コッピング作 1927年


今回は、パウロの同労者たちについて見てみたいと思います。


『そこで、ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたので、最近イタリアから来ていたのである。パウロは二人のところに行き、自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。』

使徒の働き 18:2~3


パウロは第二次宣教旅行の際、ギリシャのコリントでこのアキラとプリスキラ夫婦に出会っています。このふたりは使徒の働き18章にしか名前は出てきませんが、1年半以上に渡ってパウロと共にコリントで暮らし、その後パウロと共にエペソに渡り、そこに留まったようです。


アキラとプリスキラ夫婦と、信仰面だけではなく、天幕作りという仕事の上でも協力できたことは、パウロにとってどんなに心強く、大きな助けになったであろうことは想像できます。


『さて、アレクサンドリア生まれでアポロという名の、雄弁なユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。この人は主の道について教えを受け、霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。彼は会堂で大胆に語り始めた。それを聞いたプリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した。』

使徒の働き 18:24~26


18章の2節では、アキラとプリスキラ、夫そして妻の順に名前が出てきますが、26節では、プリスキラの名前が先に出てきます。女性の地位が低かった当時の社会慣習の中で、このような扱いをしているのは、プリスキラが夫アキラより、高い階級の出身者であったか、より重要な人物とみなされていたことを示していると言われています。


プリスキラとアキラは、パウロが旅立った後も忠実に信仰の歩みをしていたのでしょう、聖書を正確に教えていたアポロという人物に、さらに正確な神の道を指導しています。アポロという人物もとても謙遜にふたりのアドバイスに耳を傾けたようで、その後、信者になっていた人たちを大いに助けたということです。


アポロの出身地アレクサンドリアは、エジプトの都市で、大きなユダヤ人のコミュニティがあったことでよく知られています。ローマ帝国の支配の中、多くの人々が貿易のために領域内を行き来することができました。アポロが伝道という目的以外に何か理由があってエペソまでやってきたかどうかは聖書には書かれていませんが、その後、ギリシャにも渡っていったことを考えると、自由に移動できる当時の社会情勢が福音を広めることに役立ったことが伺われます。


また、著者ルカがパウロが去った後のエペソでのプリスキラ、アキラ、アポロの活動を書き記しているのも興味深く思われます。


面白いことに、このアポロとパウロは聖書の記録の中で直接会っている場面はありませんが、お互いのことは知っていました。パウロが書いたコリント人への手紙には、アポロの名前が出てきます。


『私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。』

コリント人への手紙第一 3:6


神が自分たちそれぞれを用いていたことを理解していたようです。


『兄弟アポロのことですが、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くように、私は強く勧めました。けれども、彼は今のところ行く意志は全くありません。しかし、良い機会があれば行くでしょう。』

コリント人への手紙 第一 16:12


この箇所からは、パウロはどこかでアポロと会っていたと思われます。パウロは突出した働きをした使徒ですが、多くの同労者に支えられていたことがわかりますね。


聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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