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ぽちっとBプラス No.63 最終回『イエス・キリストにある希望』


イエス・キリストは、約2000年前にこの世界に生まれました。神であるのに人として来られ、救い主キリストとして人々を教え、十字架について死にましたが、復活し、天に上げられました。


『イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。そしてこう言った。

「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」』

使徒の働き 1:10~11


これは、イエスが十字架の死から復活し、その後、天に上げられた時の場面です。天使が使徒たちに語ったことは、イエスが同じ有様でまた来るということです。


イエス自身も同じようなことを語ったことがあります。


『人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。』

マタイの福音書 16:27


『人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。』

マタイの福音書 25:31


“人の子”は、イエスのことです。やがて神の栄光を帯びて、天使を伴って来ると言っています。人々の行いに応じて報いるとは、人々に裁定を下すということでしょうか?


パウロの手紙では、次のように書かれています。


『苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。』

テサロニケ人への手紙 第二 1:7


ここでも、イエスが御使いたちとともに天から現れるとあります。これらの箇所では、イエスが再び、御使いたちを伴って天から来られることが共通しています。その様子は、クリスマスの時に“しもべ”として来られたのとは全く違い、御使いを従え、人々の行いに報いるため、栄光の座に着くという人々を治める王として来られる姿のようです。


『あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。』

テサロニケ人への手紙 第一 1:9~10


ここでは、テサロニケの人々が、御子、つまりイエスが天から来られることを待ち望んでいます。やがて来る神の怒りから私たちを救い出してくださるとも言っています。イエスが再び来られることは、イエスを信じる者にとって待ち望むべきことなのですね。


クリスマスに“しもべ”として来てくださったイエス・キリストは、やがて“王”として来られ、神に反抗する罪を完全に処罰し、もはや死もなく、悲しみも叫び声も、苦しみもない永遠の世界に、イエスを信じる者たちを招き入れてくださるのですね。


こうして、聖書の言葉を調べていくと、クリスマスのストーリーの向こうに見えてくるものがあります。イエス・キリストは、はじめ“しもべ”としてこの世界に来られ、罪の中で苦しんでいた人々に救いの道を開かれました。そして、再び来られる時には、“王”として来られ、救いを完成させ、罪のない世界に信じる者たちを導き入れてくださるのではないでしょうか? イエスの再臨を待ち望み、イエスを見上げて日々歩んでいきたいですね。


ぽちっとBプラスは、ぽちっとバイブルを補足するものとしてお届けしてきましたが、いかがでしたでしょうか? いろいろと足らないところ、学び不足の面があったと思いますが、これまで応援してくださり、ありがとうございました!


『どうか、平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてとともにいてくださいますように。』

テサロニケ人への手紙 第二 3:16


聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


参考文献:

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