ぽちっとBプラス No.58『ペテロと魔術師シモン』
- pochittobible
- 2021年10月8日
- 読了時間: 3分
📖聖書箇所:
(新)使徒の働き8:4~25
🎨『ペテロと魔術師シモンの対決』
アヴァンジーノ・ヌッチ作 1620年
伝道者ピリポが、エチオピアの宦官に出会う前の話です。サマリア*の町にシモンという魔術師がいましたが、町中の人々がその魔術に驚かされ、彼に関心を抱いていました。そこに、ピリポがやってきて、神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えたところ、人々は信じてバプテスマ(洗礼)を受けます。シモン自身も信じてバプテスマを受け、いつもピリポにつき従って、しるしと大いなる奇跡が行われるのを見ては驚いていました。
サマリアの人々がイエスを信じたという知らせを聞いて、ペテロとヨハネがやってきます。人々は主イエスの名によってバプテスマを受けていたのですが、聖霊がまだ下っていませんでした。二人が人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けます。
『シモンは、使徒たちが手を置くことで御霊が与えられるのを見て、使徒たちのところに金を持って来て、
「私が手を置く者がだれでも聖霊を受けられるように、その権威を私にも下さい」と言った。しかし、ペテロは彼に言った。
「おまえの金は、おまえとともに滅びるがよい。おまえが金で神の賜物を手に入れようと思っているからだ。おまえは、このことに何の関係もないし、あずかることもできない。おまえの心が神の前に正しくないからだ。だから、この悪事を悔い改めて、主に祈れ。もしかしたら、心に抱いた思いが赦されるかもしれない。おまえが苦い悪意と、不義の束縛の中にいることが、私には見えるのだ。」
シモンは答えた。「あなたがたが言ったことが何一つ私の身に起こらないように、私のために主に祈ってください。」』
使徒 8:18~24
シモン自身は、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えたことを信じて、バプテスマを受けていました。ですが、神が下さる賜物をお金で買えると思っていたようです。それに対するペテロの言葉はとても厳しいものです。どうしてこのように厳しかったのでしょうか。
シモンの「私が手を置く者がだれでも聖霊を受けられるように、その権威を私にも下さい」というのは、結局は、自分が中心となって、権威者として人々を支配できるかのように振舞いたかったのでしょうか? シモンの心の動機が問われています。
ですが、ペテロの厳しい言葉の中にも、かすかな希望も感じられます。もし悔い改めて、神に祈るなら、「心に抱いた思いが赦されるかもしれない」とあります。この後、シモンがどうなったのか聖書は記していませんが、心からの悔い改めをしたと思いたいものです。
『人はうわべを見るが、主は心を見る。』
サムエル記第一 16:7
と、ある通りです。私たちも見た目の行動が良くても、心の動機は何なのか、そして、その心の方を神は見ておられることに改めて気づき、考えさせられるストーリーですね。
*サマリア:ユダヤ地方の北部にある地域。ユダヤ人とサマリア人は当時つき合いをしなかった。サマリア人については、ぽちっとBプラスNo.17を参照。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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