ぽちっとBプラス No.4 『いけにえって必要だったの?』
- pochittobible
- 2020年4月17日
- 読了時間: 3分

旧約聖書を読んでいると、動物のいけにえを捧げる場面が出てきます。現代の私たちにはとても理解できません。どう捉えたら良いのでしょうか🤔
創世記の話を見てみましょう。
『神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。」』
創世記6:13
これは、ノアの箱舟の話の場面で、神が全世界的な洪水で地上の生き物を滅ぼし、ノアとその家族だけが助かったという話でした。理由は、暴虐が満ちていたからだと書いてあります。
『主は言われた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、彼らの罪はきわめて重い。」』
創世記18:20
これは、ソドムとゴモラという町が、硫黄と火によって神に滅ぼされますが、そこに住んでいた、アブラハムの甥のロトと家族だけが救われるという話です。ここでも、理由は罪がきわめて重いからです。
聖書の神は、罪に対してとても厳しいことがわかります😯
罪は、人が神との完全な関係を捨てて、悪魔の誘惑に従ったことから始まりました。罪のために、人はエデンの園から追放され、肉体的に死ぬことになり、神と断絶してしまいました。(ぽちっとバイブル第5回参照)
『実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのためになだめを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとしてなだめを行うのは血である。』
レビ記 17章11節
神は神聖な方なので、人を罪あるまま受け入れることができません。けれども、人を愛している神は、失敗や弱さのある人々の罪の意識を取り除き、神と人の関係を回復するために、いけにえの制度を備えられました。神と断絶し、失われた永遠のいのちの代わりは、“いのち”というわけです。
新約聖書では、次のように書いてあります。
『律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって神に近づく人々を、完全にすることができません。』
ヘブル人への手紙10:1
動物のいけにえは一時的なもので、完全ではなかったようです。それを影だと表現しています。
『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。』
ヨハネの手紙 第一4:10
御子は、神の子であるイエス・キリストのことです。神が人を愛して、罪のためのいけにえとして、神の子であるイエス・キリストを遣わしたということですね!そこに神の愛があるのだとも!だから、キリストは十字架にかかって死んだのですね!そして、死に勝利する復活をされた記念がイースターでした。
つまり、旧約聖書時代の動物のいけにえは、神の子イエス・キリストという完全ないけにえの影だったのですね😮
『神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。』
ヨハネの福音書 3章17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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