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ぽちっとバイブル 第76回 最終回『人となった神』



📖聖書箇所 

(新)マタイの福音書1:20~25

🎨『羊飼いの礼拝』

アルブレヒト・ブロイアー 1853作


今年もクリスマスを迎える季節になりました!


『それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。』

イザヤ書 7:14


これは、キリストが生まれる700年ほど前に、預言者イザヤによって語られた言葉です。“インマヌエル”という者が処女から生まれると言っています。


時を経て、ヨセフという人物が夢で、御使いから告げられます。イエスの養父となるヨセフと妻となるマリアのお話です。


『「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。

「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。』

マタイの福音書 1:20~25


ヨセフは、聖霊によって身ごもっていたマリアを妻として迎え、イエスが生まれました。神が預言者を通して語った通りのことが実現していったのです。


やがて、イエスはキリスト、すなわち、救い主として、人々に神の国の福音を伝え、自らのいのちを捧げ、復活し、信じる人々に永遠のいのちをもたらしました。そして、イエスは、信じる人々といつまでもともにおられる神であると聖書は語っています。



🐶ぽちっとひとこと


イエスは、なぜわざわざ赤ちゃんとして生まれたのでしょうか? 


『キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。

それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。』

ピリピ人への手紙 2:6~9


イエス・キリストは、神であるのに、神としての在り方を捨てて、人間と同じように生まれてくださったのですね。神として人間からあがめられ、礼拝されるべき存在であるのに、私たちと同じように生まれたとあります。しかも“しもべ”として来られたというのです。“しもべ”は、人に仕える立場です。神が“しもべ”になるとは、驚くべきことですね。


『彼は蔑(さげす)まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。』

イザヤ書 53:3~4


これは、イエスのことを描写した箇所と言われています。イエスは、悲しみや病を体験し、また、人々から軽蔑されたこともありました。それは、人々の代わりにそれらの苦しみを背負い、信じる人々を解放するためだったのでしょうか。


今年のクリスマス、イエス・キリストの誕生の意味を思いながら、お祝いしたいですね!


2年間に渡り、ぽちっとバイブルを応援してくださり、ありがとうございました!

私たちの想像をはるかに超える神の計画が著されている聖書に、ますます親しんでいただきたいと願っています。

全知全能の神、創造主なる神の祝福が皆様の上にありますように。



聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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