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ぽちっとバイブル 第32回『山上の説教』

  • pochittobible
  • 2020年7月31日
  • 読了時間: 3分

📖聖書箇所

(新)マタイの福音書5:3~7:27

🎨「山上の説教」

 カール・ブロック(ブロッホ) 作

 (デンマーク) 1877年

 (Wikipediaより)

今回は、『山上の説教(垂訓)』として知られるイエスの教えをご紹介します。

『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。

柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。

義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。

あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。

心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。

義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』

マタイの福音書 5:3~10

とても内容が深いのですが、わかりにくい言葉の意味を考えてみましょう。

“心の貧しい”とはどういう意味なのでしょうか?これは、“霊において貧しい”とも言われ、自分の心の中にある空しさに気づき、自分ではどうすることもできず、それを満たすことができるのは神だけだとわかった人のことを表しています。その人は、神を求めるので、神は天の御国をその人たちに与えてくださるのでしょう。

では、“天の御国”とは、何でしょうか? 天の御国と聞くと、いわゆる死後に行く天国か、聖書によれば、今の世界が終わった後、新しく創造される新天新地のことを想像するかもしれません。ですが、天の御国には、もう一つの解釈があります。それは、“神の完全な支配のあるところ”という意味で、現在、この地上で神を信じる人々の間にあるものと考えられています。

また、“義”という言葉が2回出てきていますが、これは、神から見て、“正しい”とされることを意味しています。“義に飢え渇く”人は、神との深い関係を求めるので、神によって満ち足りるのでしょう。

🐶ぽちっとひとこと

ここでは、8種類の人々がいるように思われます。ですが、“天の御国”に入る人々、つまり、神を知る人々は、神との関わりを通して、この8つの面をあわせ持つ人々と言うこともできます。

“霊において貧しい”ので、神が必要だと気づいた人は神を求めます。神の素晴らしさを知るにつれて、自分の罪、また、世の中の罪を見て“悲しむ”ことがあるかもしれません。神の前に頑なになるのではなく、“柔和”になって、神の前にへりくだり、神に従います。そしてさらに、神の“義”、神の基準を求めていきます。

そのような人は、周囲の人々に対しても、神がそうであるように、“あわれみ深く”、思いやる人になろうとするでしょう。人々を“きよい”、偏見のない心で見ようとするでしょう。そのような態度でいるなら、その人の周囲には、“平和”が築かれていくでしょう。神を信じ、きよく生きようとすると、“迫害”に遭うことがありますが、そのような時でも、神の完全な支配の中で安らぐことができるのです。

いかがでしょうか? ぜひ『山上の説教』を読んで味わってみてください!

参考文献

『ファイヤーバイブル注解付聖書』(ライフパブリッシャーズ)

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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