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ぽちっとBプラス No.45『聖書の中の戦い』



聖書、特に旧約聖書を読んでいると、多くの戦いの場面が描かれています。神の律法にも次のように書かれています。


『あなたの神、主が彼らをあなたに渡し、あなたがこれを討つとき、あなたは彼らを必ず聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。また、彼らにあわれみを示してはならない。』

申命記 7:2


このような記述を読むと、現代の私たちには理解しがたく、聖書の神は愛ではなかったのだろうかと疑問に思ってしまいます。


『そして、四代目の者たちがここに帰って来る。それは、アモリ人の咎が、その時までに満ちることがないからである。』

創世記 15:16


これは、神がアブラハムに語った言葉で、アブラハムの子孫が自分たちのものでない地で400年間奴隷となり、その後帰ってくることを伝えたものです。出エジプトのことを言っていることがわかりますが、アモリ人の咎がその時まで満ちることがないからとその理由が書かれています。(アブラハムの時代から出エジプトまで、約600年の開きがあることにも驚きますね!)


アモリ人は、カナン人の一派ですが、彼らは神の目には堕落が著しく、邪悪であったため、その裁きの実行者としてイスラエル人が用いられたと考えることができそうです。


また、同じ聖書が次のようにも言っています。


『あなたが、ある町を攻略しようとしてその町に近づいたときには、まず降伏を勧めなさい。もし町が降伏に同意して門を開くなら、その中にいる民はみな、あなたのために苦役に服させ、あなたに仕えさせなさい。』

申命記 20:10~11


ですので、救いの道があったことがわかります。


神は人間を愛し、滅びから救われてほしいと願っておられるのですが、同時に、正義と公正の神なので、罪をそのまま放置しておくことはできず、時がくれば裁きが実行されるということなのでしょうか?


『主は正義と公正を愛される。

 主の恵みで地は満ちている。』

詩篇33:5


神は正義の神であってほしいと誰もが願うのではないでしょうか。そして、正義があるところに神の恵みが満ちるのかもしれませんね。


聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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