ぽちっとBプラス No.3 『復活に何の意味があるの?』
- pochittobible
- 2020年4月10日
- 読了時間: 3分

🎨『キリストの墓に来た3人のマリア』 L・カルロスフェルト作 1835年
キリストの復活にどのような意味があるのでしょうか?大きなテーマですが、創世記の最初で人間が罪を犯したことから見ていくことにしましょう。
人が、神の言うことよりもサタン(悪魔)の誘惑に従ったため、神と人の関係は壊れてしまいました。それを、聖書では罪といいます。
『神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」』
(旧)創世記3:22
“人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。”とは、人がまるで神であるかのように、自分中心の善悪の基準を決めて生きていくことを意味しています。
ここで、神が“永遠に生きることがないようにしよう”と言っているので、人が罪を犯さなければ、本来、エデンの園で永遠に生きられたのかもしれません。
ですので、罪によって人は肉体が死ぬことになり、かつ、霊的にも神と断絶したと言えます。
ですが、人を創造し、愛している神は、人を救う計画を立て、実行していきます。それが、人の罪の身代わりとして神の子であるイエス・キリストを十字架につけ、それだけではなく、文字通り肉体的にも霊的にも復活させることだったのです。
イエス・キリストが復活したことによって、人は今の肉体が死んでも、やがて次に来る世界で復活して、新しい身体になり、魂も生き続けることができる希望があるというのです。まさに、創世記で犯した人の罪が帳消しにされるわけです。
人の罪の身代わりとなって、イエスが十字架について死んでそのままなら、死んだら結局終わりということで、確かに意味がないでしょう。ところが、イエスがまず最初に死んでよみがえったことを通して、死に勝利したのです。
新約聖書でも次のように書かれています。
『そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に吞み込まれた。」
「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」』
コリント人への手紙 第一 15:54~55
これは、パウロが書いた手紙の中の言葉ですが、“朽ちるべきもの”“死ぬべきもの”とは、私たちの現在の身体を意味していると思われます。それが、“朽ちないもの”“死なないもの”、つまり、永遠に生きる身体になるというのです。
「死は勝利に吞み込まれた。」は、旧約聖書のイザヤ書25:8から、「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」は、同じくホセア書13:14からの引用です。これらの預言がやがて成就することになると新約聖書でも語っています。
実際、聖書には、この世界の始まりから終わり、そして、復活した人々が永遠に生きられる次の世界の始まりまでが書かれていて、一貫した神の計画があることがわかりますね!
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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