ぽちっとBプラス No.23 『復活にある希望』
- pochittobible
- 2020年9月4日
- 読了時間: 2分

最初の人アダムが、神に対して罪を犯したため、世界が壊れ、人はその罪の結果として死ななければならなくなりました。人を愛する神は、人類を救済するため、イエス・キリストをこの世に送り、イエスは全人類の罪を負って十字架上で死に、復活することによって死に勝利し、人が永遠のいのちを持つことができるようしました。ですから、イエスを信じる者は、肉体が死んでも、新しい身体を持って復活し、永遠の新しい世界で生きていくことができます。(ぽちっとBプラスNo.3『復活に何の意味があるの?』参照)
ヨハネの福音書11章でのラザロの復活は、永遠の新しい身体ではなく、通常の肉体のいのちの復活でした。ですが、イエスがよみがえりであり、いのちであることを指し示す大きな奇跡だったことは間違いありません。
聖書では、人生について次のように書いてあります。
『私たちの齢(よわい)は七十年。
健やかであっても八十年。
そのほとんどは労苦と わざわいです。
瞬く間に時は過ぎ 私たちは飛び去ります。』
(旧)詩篇90:10
人生は、あっという間に過ぎ去るのでしょうか?
『これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。』
(新)ヘブル人への手紙11:13
これは、アブラハムについて書かれている箇所です。ここでも、この地上の人生は旅のようであり、また、一時的な滞在者のようだと言っています。もちろん、アブラハムも、その他の信仰者たちも、その人生において試練の時には悩み、苦しみが長く続くように感じられたこともあったでしょうし、喜びもつかの間に思われたこともあったでしょう。
今を生きている私たちにとっても、人生は長いようで、永遠の時間に比べれば、確かに一時的でしょう。永遠のいのちが約束されている人にとって、“肉体の死”は終わりではなく、“永遠のいのち”への入り口と言えます。罪が取り去られた新しい永遠のいのちの世界を待ち望むなら、アブラハムのように、地上では旅人だとしても、喜びと希望をもって、過ごせそうな気がしてきますね。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
参考文献
『ファイヤーバイブル注解付聖書』(ライフパブリッシャーズ)
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