ぽちっとBプラス No.22 『自分の十字架を負って』
- pochittobible
- 2020年8月28日
- 読了時間: 2分

『イエスは皆に言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか。」』
(新)ルカの福音書9:23~25
“自分の十字架を負う”とは、どういうことでしょうか?何だか、悲壮な決意をもって修行するかのように、イエスに従うことでしょうか?
“十字架”は、本来死刑の道具なので、“死”を意味します。ですから、“自分の十字架を負う”とは、自分自身に“死ぬ”ことと考えられます。もちろん、ここで肉体の死を意味していないことは明らかですね。
使徒パウロも次のように言っています。
『私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。』
(新)ローマ人への手紙14:8
パウロは、“主のために生きる”と言っています。自分のために生きるのではないのですね。
古代イスラエルの全盛期の王、ソロモンは次のように言っています。
『自分の目の欲するものは何も拒まず、心の赴くままに、あらゆることを楽しんだ。実に私の心はどんな労苦も楽しんだ。これが、あらゆる労苦から受ける私の分であった。
しかし、私は自分が手がけたあらゆる事業と、そのために骨折った労苦を振り返った。見よ。すべては空しく、風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。』
(旧)伝道者の書2:10~11
『しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。』
同8:12
もう一度、“日々自分の十字架を負う”とは、どういうことでしょうか?“自分に死ぬ”とは、どういうことでしょうか? 答えは、きっとひとりひとり違うでしょう。神がおひとりおひとりに明らかにくださいますように!
『世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。』
(新)ヨハネの手紙第一2:17
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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